「いまを思う」 権力者の思いとは

三浦 弘康

消費税10%の10月を迎えたら、やっと国会が始まりました。5日付けの朝刊で、改めて安倍首相の所信表明演説の全文を読んでみました。よくぞまあ白々しく己の悪政に都合よくかくも大風呂敷を広げて見せたつもりでしょうが、説得力に欠け権力者の驕りのみが感じられました。

大見出し1.「はじめに」の章で強調する「新しい令和の時代にふさわしい、希望にあふれ、誇りある日本」とはどんな姿なのか、見てみましょう。

同じく2.の「一億総活躍社会」では「多様性を認め合い、すべての人がその個性を認め合い云々で・・・その先には少子高齢化の壁も必ずや克服できる」と自信満々ですが、これは次の「全世代型社会保障」の項で、年金、医療、介護、労働など社会保障全般にわたる「人生100歳時代」を吹き込み、「年金額の抑制と同時に受給資格年齢の大幅引き上げ」で「死ぬまで働け」という残酷で無慈悲な老後人生を国民に押し付けようと画策しているのです。今日の少子高齢化はあくまでも政治の怠慢です。

3.章の「地方創生」では特に農産物輸出の項で「先に締結されたTPP11とEUとの経済連携協定によって乳製品や牛肉の輸出がそれぞれ2割、3割以上増加した」というのです。今農業の現場ではこの2協定による肉類の輸入が倍増し、加えて日米貿易協定がトランプとウイウイの合意に達したことにより、畜産農家のやる気をすっかり萎縮させているというのに。その無神経さと冷酷さには只あきれるばかりです。

4章の「外交・安全保障」の中で自らを「自由貿易の旗手」と持ち上げ、トランプの身勝手を許したことは棚上げして、大阪サミットの成果をたたえ成果の上がらない日中、日ソ、日朝、さらに日韓の問題まで楽観的に描いて見せています。

第5章「おわりに」では、初めに丁度100年前の第一次大戦後のパリ講和会議において日本代表が「人種平等論」を掲げたその先見性を強調していますが、私にはその意図が分かりません。何故なら、その20年後、わが国は日独伊3国の枢軸による第2次世界大戦を引き起こしており、そのことには、首相はまるで無かったかのように語らない。これだけの歴史的事実は永遠に世界史から消せることは出来ない筈なのに。異常です。この体質、危険です。これに続く「この国の目指す形、その理想とは教育、働き方、社会保障、わが国の社会システム全般を改革していく、令和の時代の新しい国創りを・・・その道しるべは憲法です」と明言しました。それは単なる憲法論議ではありません。数を頼んだ「九条壊憲」以外の何ものでもありえません。