争いがない、平和な社会を目指して

~争いがない、平和な社会を目指して~

高橋 千佳(みやぎ憲法九条の会 世話人)

穏やかで平和な社会は人類共通の願いなのに、世界では紛争が絶えません。戦争によって尊い命が奪われ、環境を破壊し続けている現状があります。 安保関連3文書、緊急事態条項など政府が打ち出す戦争へ続く道の法改悪に危機感が高まります。「自分たちからは攻めない国」として憲法九条を柱に諸外国に安心を与え、国際社会で培ってきた日本の位置づけを揺るがす大きな転換です。

ウクライナ戦争、北朝鮮のミサイル実験など不安はありますが、あたかも台湾有事が今すぐにも起きるかのように煽る構図が出来ていることは危険です。台湾の約80%の国民世論は現状維持を望んでいます。ところが、台湾有事を口実に、沖縄・南西諸島の軍事化は急ピッチで進んでおり中期防衛力整備計画のもと、自衛隊の配備・増強が進められ、南西諸島には、弾薬庫、ミサイル基地等が作られています。残念ながら沖縄の人々の命と暮らしを守るという一番大切なことが置き去りになっています。沖縄は昨年、本土復帰 50 年を迎えました。かつて 4人に 1人が犠牲になられた沖縄戦を忘れない、繰り返さないことは必然です。沖縄を守るための基地だったはずだったのに、軍備を強化することにより、戦場にしてしまうリスクが高まります。この現状は日本全土の問題だという事を忘れてはなりません。

私が小学生の頃、家には「はだしのゲン」の漫画が置いてあり、兄と弟の3人で、ボロボロになるまで読んだ記憶があります。今は亡き父に「はだしのゲン」の映画に連れて行ってもらい、戦争の悲劇、理不尽な社会であってはならないと映画を通じて教えられました。子どもながらに、正しいことを言っていたゲンのお父さんが戦争の犠牲になったことは納得いきませんでした。また、母が教員になった理由は、教師だった父親が戦争に連れていかれ、硫黄島玉砕で亡くなったからだと聞きました。私のお祖父さんにあたる人です。母は「親父さんの意志を継ぎたい」という思いで教職を全うしたと言います。世代を超えて戦争の悲劇を語り継ぐ機会が薄れていく中、教育現場では「はだしのゲン」を置かなくなったと聞いた時、残念としか言いようのない虚しさを感じました。

気が付いたら戦争が始まっていたのでは遅いのです。無関心でいることは本当に危険です。

争いがない、平和な社会を目指すために、今こそ、憲法前文、憲法九条を盾にし、矛を持たず、平和外交で国を守るべきだと思います。

 

「やむを得ない」? — 有事の市民の命

「やむを得ない」? — 有事の市民の命

小幡佳緒里(弁護士・みやぎ憲法九条の会 世話人)

岸田首相が衆院補欠選挙応援のために訪れた演説会場に筒状の爆発物が投げ込まれる事件が起こった。演説会場で要人が狙われるなどという事件があってはならないことは言うまでもない。

これに関連し、投げ込まれた筒状の物体を多くの聴衆がいる方向へ蹴って首相から遠ざけるなどしたSPの行動に、首相が無事であれば市民が犠牲になっても良いのか、 などの批判の声が寄せられた。

確かに、要人警護の観点からは、爆発物と思われる物体を要人から遠ざけたSPの行動は、その先に多くの市民がいたとしても、やむを得ないものとされ、上記批判はあたらないこととなろう。

しかし、私は、この「やむを得ない」とされることこそが、有事の際の政府と市民との関係を如実に表しているものだと改めて感じた。

憲法は、すべて国民は法の下に平等である、としている。人は平等であり、社会的身分等により差別されることはない。しかし、それは有事の際には当てはまらない。国家を守るということは、国の統治機構、その中枢にある政府を守ることに他ならない。国民(市民)ではなく、政府を守ることが最優先となる。そのため、ミサイルが政府(その構成員)に着弾するのを阻止するためであれば、多数の市民が集う場所へ着弾先を向けることは正当な被害回避行動となろう。有事の際には、市民の命は、国の統治機構に劣後する。

日本は、戦争をしない国になって80年になろうとしている。まさに、戦争がないことが当たり前の日常である。そこでは、人は、命は、平等であるのが前提となっている。

戦争のない日常に生きている私たちは、有事の際、自分の命が国の統治機構に劣後することを理解しているだろうか。

人の命は平等で、社会的地位等によって選別されて良いわけがない。

だからこそ、私は、戦争が起こることがあってはならないと心から思う。

 

“非”立憲的な日本人 ――憲法の死文化を止めるためにすべきこと

“非”立憲的な日本人 ――憲法の死文化を止めるためにすべきこと

境家史郎(東京大学大学院法学政治学研究科教授)を読んで

佐藤修司

「改憲論 対 護憲論」を超えてというタイトルで、日本人の憲法観について調査し、記したものである。

堺屋先生は、憲法に関する意識について日本人を2種類に分けるとき、長らく使われてきた基準は、もっぱら、改憲派か護憲派かというものであったが、今日の日本人の憲法観には、改憲に関する賛否という以前に、問われるべき根本的側面があるのではないか」と指摘して、それは、日本人が「どれだけ立憲主義的であるのか(立憲主義の考え方を理解し、信奉しているか)」という点であると問題提起した。

こうした立憲主義の思想は、「権力を法で拘束することによって、国民の権利・自由を擁護することを目的とする」という、「法の支配」の原理と密接に関連する。こうした立憲主義の考え方を理解し、これに規範性を認める人を「立憲主義者」、そうでない人を「非立憲主義者」と呼ぶことにする。

憲法観を測定する

分析は、オンライン調査の結果に基づく。調査は楽天インサイトの登録モニターに対して行い、居住地(都道府県)、性別、年齢について、現実の人口比と等しくなるよう割り付けがなされた。回答者の総数は4000人である。

本調査で焦点となる質問は、「あなたが考える憲法のあり方は、どちらのイメージが強いですか」というものである。憲法のあり方の「イメージ」にはA、Bの両極を用意した。回答者は、「A(B)に近い」「どちらかと言えばA(B)に近い」「どちらとも言えない」の選択肢から一つを選ぶことになる。A、Bの具体的文言は次の通りである。

A:憲法はあくまで国の理想の姿を示すものであるから、政府は、現実の必要に応じて、憲法の文言にとらわれず柔軟に政策決定すべきである。

B:憲法は国家権力を制限する具体的ルールであるから、政府は、現実の必要があるとしても、憲法の文言上許されない政策を採るべきではない。

イメージA、Bは、この憲法観をめぐる対立を、より鮮明化した形で捉えようとしたものである。Aの見方によれば、政府は実際上、憲法に行動を制限されていない。これを選ぶ人は、憲法の役割をいわば為政者にとっての道徳的目標として捉えているのだと思われる。これは近代の立憲主義的な考え方ではない。

法の支配を重視する立憲主義者は、2つのイメージから選ぶとすれば、Bを採らなければならない。というより、憲法の役割をBのように考える(Aのように考えない)ことこそが立憲主義的であることの定義(の少なくとも一部)なのである。

大量に存在する非立憲主義者

「A寄り」を非立憲主義者、「B寄り」を立憲主義者と単純に分類すれば、回答者の中では、非立憲主義的立場が明確に優勢であった。


図1:立憲主義者/非立憲主義者の割合

厳格な立憲主義者である「Bに近い」を選択した人は全体の11%に過ぎず、言い換えると、9割方の人が、「憲法の文言上許されない政策」でも政府はときに実施すべきだと、大なり小なり考えていることになる。状況に応じて、違憲立法を柔軟に(?)認めてよいというのである。

今日の日本社会に非立憲主義者がきわめて大量に存在することは認めざるをえない。

なお、今回の調査結果が的外れでないことを示す傍証として、無作為標本を用いた既存の世論調査を一つ挙げておこう[5]。

読売新聞社が2018年3~4月に行った調査であるが、ここでは「あなたが考える憲法のあり方は、どちらのイメージが強いですか」と問い、「(A)国のかたちや理想の姿を語るもの」、「(B)国家権力を制限するルール」のいずれかを二択で選ばせている[6]。その結果は、Aが60%、Bが37%であった。

立憲主義の概念・考え方は、今日、義務教育で一通り教えられている。しかし、日本人の血肉になっているとはとても言えない。憲法典の具体的内容をよく知らない人が多い、との指摘は昔からある(事実である)。しかし、多くの日本人にとって、問題はそれ以前の次元にあると言わなければならない。

日本人が憲法のことを理解していないのではないかと思っていたが結果には驚いた。

問題はそれ以前の次元にあると指摘しているが、それを挽回する道はあるのだろうか。

あるいは憲法を国民の血肉にする方途はどのようにすべきなのだろうか。境家先生は触れていないが、今の自公政権には教えようとする気はないものと思われる。

                                       

(以下、佐藤修司)

改正される前の教育基本法には「日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」として「日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」としていた。すなわち、教育は日本国憲法に則り、その精神を生かしていくものであった。憲法の意味するところをきちんと国民に教えていくことが重要であったにもかかわらず、そのことをないがしろにしてきたことを表していると思う。

憲法12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」とあり、「自ら憲法を使い保持しなければならないとしている」ことは憲法をくらしに生かすことをっしている。国民にも責任があると言っているのだ。

戦後の自民党文部行政が憲法の精神を教えず、通り一遍に大日本帝国憲法と新憲法という言葉、文字だけを教えてきたことの表れであろう。

一言でいえば、憲法は紙に書かれたもので大切なものでなければ、よるところのものでもない。自分の生活に役立っていない、関係ないと感じているということだろう。

戦争を再びしないとした9条を、自民党は改正しようとしている。改憲4項目を私たちは批判し反対しているが、アジア太平洋戦争の結果、戦争を二度としないと誓った日本人の決意はどうしたのだろうか。中国台湾の緊張の高まりに、アメリカとの軍事同盟をすべての前提として再び戦争を辞さないとする対応に国民は疑問を持たないのだろうか。

さらなる宣伝の方法を考えていきたい。

参考資料※参考資料にはパスワードを設定しています)

「いまを思う」若手研究者の萎縮を危惧する

吉田 正志(みやぎ憲法九条の会世話人)

任命拒否から2ヶ月経って

日本学術会議(以下、「学術会議」と略称)が、2020年10月1日付けで会員となる候補者105名を内閣に推薦したところ、菅内閣がそのうちの6名の任命を拒否するという、前代未聞の事態が生じてから2ヶ月が経過した。

最近の政府・自民党は、6名の任命拒否問題ではなく、学術会議のあり方に攻撃の矛先を向けており、とりわけ学術会議が軍事研究に否定的な方針を守っていることを批判し、さらには国家機関から学術会議を切り離すことも目論んでいる。

従来、学術会議が推薦した会員候補者を形式的に任命していた内閣が、突如何の理由も示さず6名の候補者の任命を拒否したのは、その任命拒否自体が目的だったのか、それとも最終目的は学術会議の変質もしくは解体であり、任命拒否はそのためのきっかけに過ぎなかったのか。この点の判断は重要な問題であるが、ここではこの問題に立ち入らない。私は、この6名の研究者が学術会議会員に任命されることを拒否された、その理由1点にこだわりたい。

任命拒否理由を示さず

まず、任命を拒否された6名の研究者を確認しておこう。以下の通りである。

芦名定道京都大学教授・宗教学

宇野重規東京大学教授・政治思想史

岡田正則早稲田大学教授・行政法学

小沢隆一東京慈恵会医科大学教授・憲法学

加藤陽子東京大学教授・日本近代史

松宮孝明立命館大学教授・刑事法学

容易に理解されるように、全員がいわゆる人文社会系の研究者である。政府は、任命を拒否した理由として「総合的・俯瞰的観点」、「多様性」、「事前調整がなかった」等々、まったく支離滅裂な言辞を弄するが、最後は常に「公務員の人事についてはお答えを差し控えさせていただく」ことに逃げ込む。

しかし、上記の任命拒否された6名の研究者が学術会議会員として十分な研究業績を挙げていることは、誰も否定できないであろう。それゆえ、この6名がかつて「特定秘密保護法」や共謀罪、また「安保法制」に批判的な発言等をしたことを、警察官僚出身の杉田和博官房副長官が問題視して、6名を除外した会員名簿を菅首相に届け、それを菅首相がそのまま認めたという疑念が生じる。

私は、この疑念はきわめてあり得ることだと思う。野党は、この疑念の確認のためには、杉田副長官の国会招致が必要だと要求しているが、政府・自民党はそれを拒否している。もし政府・自民党が野党の要求を受け入れて杉田副長官が国会に出てきても、彼が本当のことを素直に述べるとはとうてい思えない。前安倍内閣の「モリカケ問題」や「桜を見る会問題」等に顕著に表れているように、国会は言論の府というよりはウソが罷り通る場に堕しているからである。

若手研究者に与える影響

上記6名の研究者が学術会議会員に任命されなくても、彼らは個人的にそれほど気にしないかもしれない。すでに研究者として一流の業績を挙げており、そもそも会員の肩書きなどはさほど魅力的なものではない。学術会議の仕事を処理することで支払われる手当若干はあるものの、そのために費やす時間を考えれば、会員にならない方がありがたいのではないか。

私は、2006年8月から2011年9月まで学術会議の連携会員に任命されたので、そのときの経験から上記のように推測するのだが、しかし、これからのわが国学術研究の充実発展をになう大学院生等の若手研究者は、今回の任命拒否問題をどうみているだろうか。

現在の若手研究者を取り巻く研究環境は決して明るいものではないと聞く。文系・理系を問わず、最近は任期の付いたポストが多くなり、5年なり10年なりのプロジェクトの終了と同時に任期も終わり、新たなポストを探さなければならないようである。
さらに、自分の研究を遂行するための研究費は、大学や研究所の経常運営費を当てにできないため、多くの場合科学研究費補助金のような競争的資金や外部資金を獲得する必要がある。このような環境では、長期的視野に立った研究を避け、できるだけ短期間に成果の出る研究を選ばざるを得ない。

また、今回の任命拒否のように、研究者に対して明確な理由を示さず問答無用的に不利益処分を加えることが罷り通るならば、次のポストを探さなければならない若手研究者は、できるだけ波風の立たない無難な研究テーマで成果を示したいと考えても無理はない。

しかし、これでわが国の学術研究は発展するだろうか。未知の分野、他の人のやっていない問題に、失敗を恐れずに果敢に挑戦する研究者が出てくるだろうか。私はこの点に危惧を抱かざるを得ない。

とくに社会科学の場合は、現実的問題を研究対象にするならば、時の政府・政策を批判的に検討することがあり得る。いや、むしろ批判的に取り上げてこそ研究する価値があるというものである。私は、このような研究姿勢を貫く若手研究者が多くいることを確信しているが、それでもなかには、政治が学問を支配しようとする圧力に何らかの影響を受ける若手研究者がいても不思議ではないと思う。これはわが国の学問研究にとって不幸なことではないか。

市民の理解を得る重要性

なお、任命拒否問題を扱う論調のなかに、本問題はしょせん学者の世界のことであり、市民には関係ないことだとみられる可能性のあることを指摘するものがある。それへの対応として、わが国戦前1933年(昭和8)の滝川事件や1935年(昭和10)の天皇機関説事件を引用して、学問への弾圧は決して学者の世界だけに止まらず、いずれは市民の思想・表現等の自由が抑圧され、さらには戦争への道に突き進む歴史を説くことがなされる。

私も、自分も歴史家であることもあって、歴史に学ぶことの重要性は十分認識しているが、市民のなかには、戦前と現在とでは事情がまったく異なるから、今回の任命拒否が市民の基本的人権の侵害にまで結びつくかは疑問であると考える人も多いかもしれない。こうした意見にどう対応するか、工夫が必要だろう。

ちなみに、私は、滝川事件や天皇機関説事件は、まことに不当なものであるが、少なくとも弾圧する理由は述べていた。しかし、今回の任命拒否はまったく理由を示していない。この点において上記2事件と比べて一層タチが悪いと思っている。
最後になるが、私にはいささか不安に思っていることがある。それは、この歴史に学ぶということが、最近の若者にはたしてどの程度浸透しているかという疑問である。その理由は、あるいは私が知らないだけなのかもしれないが、とくに大学生諸君が本問題に対してさほど大きな声を上げているようにはみえないことである。

大学生諸君は学問の世界の一員である。彼らは、学問の自由とは何か、大学はどうあるべきか等の問題に接近しやすい立場にある。それゆえ、本問題についても一定の関心をもてるのではないかと思う。しかし、その関心が具体的行動に表れているのかどうか、よく分からない。

コロナ禍のため、そもそも大学キャンパスに入れないという学生も多くいるようだから、学生が本問題について話し合い、行動を起こすことは困難なのかもしれない。そのような事情は理解できるものの、大学の構成員である学生諸君には、本問題に大きな関心をもって貰いたい。一般市民の関心を喚起することとともに、より学問の身近にいる学生諸君の関心を呼び起こす働きかけが大事だと思う。

ここまで書いたところで、『しんぶん赤旗』2020年12月1日号1面が、「臨時国会の会期末が迫る30日、菅義偉首相による日本学術会議への人事介入を許さないと高校生、大学生が首相官邸前で抗議を行いました」と報じていることを知った。学生諸君が任命拒否問題にさほど関心を示していないのではないかとの私の心配は杞憂だったかもしれない。この若者たちの行動が、今後さらに大きな潮流になることを期待したい。

(2020年12月1日記)

「いまを思う」歴史のねつ造ということ

吉田 正志(みやぎ憲法九条の会世話人)

最近必要に迫られて、仙台市刊行の『仙台市史』通史編1~9を通読している。このうち通史編1・原始は1999年に上梓されたが、その後2005年に「通史編1・原始 旧石器時代〔改訂版〕」と題された145頁の別冊が刊行された。

それは、2000年11月5日の毎日新聞が、藤村新一東北旧石器文化研究所副理事長(当時)によって2ヶ所の遺跡で旧石器発掘のねつ造が行われたことを報じたことをきっかけに、その後の関係遺跡の検証作業が行われ、9都道県で計166ヶ所が学術資料として扱うことが不可能となったため、その結果を踏まえた叙述が必要になったからである。

この事件は考古学界のみならず、社会全体にも大きな衝撃を与え、ことにねつ造者が地元の人物だっただけに、宮城県でも大きな話題となった。記憶している方も多かろう。

さて本題である。2016年に大阪の国有地が学校法人森友学園に売却された際、ごみ撤去費用等を名目に大幅な値引きが行われた事件につき、その後財務省の関係決裁文書が改ざんされていたことが明らかとなった。この改ざんは、同学園と密接な関係をもっていた安倍晋三首相の妻昭恵氏らの名前を削除などしたもので、当時の佐川宣寿財務省理財局長の指示のもとに行われた疑いがある。

この指示を受けた近畿財務局職員の赤木俊夫氏は、強く抵抗したものの最終的にはこの公文書改ざんを行わざるを得なくなり、ためにその後うつ病を発し、ついには2018年に自死するに至った。赤木俊夫氏の妻雅子さんは、この改ざんの真相を知りたいとして、2020年3月18日に国と佐川元理財局長を相手取り、大阪地裁に損害賠償請求訴訟を起こした。

公文書の改ざんは立派な歴史のねつ造である。現在及び将来の国民に誤った歴史を伝えるものである。しかも真面目な公務員の自死という痛ましい結果さえもたらしている。安倍晋三夫妻や佐川氏はこれらの事実に心が痛まないのだろうか。

(2020年12月5日記)

安倍首相の退陣に当って〜安倍政権の「末路」と私たちの課題と責務〜

小田中 聰樹(東北大学名誉教授・みやぎ憲法九条の会世話人)

一 安倍首相は、2020年8月28日辞意を表明した。(この日の記者会見で)

  1. 憲法「改正」、拉致問題解決、日ロ平和条約締結の志を半ばにして職を去ることは、痛恨の極み、断腸の思いだ。
  2. 「憲法改正」は残念ながら国民的世論が十分に盛り上がらなかった。
  3. 実績は、外交、安全保障において安全保障関連法を制定したことだ。
  4. 米国との同盟関係は強固なものとなった。
  5. 森友学園、加計学園、桜を見る会の問題については長時間国会答弁した。
  6. 政権を私物化したことはない、

などと述べた(8月29日河北新報など)。

安倍内閣は、第2次が2012年12月、第3次が2014年12月、第4次が2017年11 月に発足し、合計約8年間政権を掌握してきた。

二 この8年間に安倍内閣が行った「悪政」の主なものを列挙すれば、次の通りである。

  1. 自衛隊明記。改憲の2020年施行を目指すと表明(2017年5月)。
  2. 戦争国家づくり。
    1. 国家安全保障会議(NSC=戦争の司令塔)の創設・発足 (2012年12月)。
    2. 特定秘密保護法の強行(2012年12月)。
    3. 集団的 自衛権行使容認の閣議決定(2014年7月)。
    4. 安保法制法=戦争法の強行(2015年9月)。
    5. 陸自の南スーダン PKO 日報の隠蔽(2016年12月)。
    6. 辺野古新基地建設工事の強行着手(2017年4月)。
    7. 共謀罪の強行(2017年6月)。
  3. 格差社会・財界優位社会の拡大(=国民生活破壊)。
    1. 生活保護・生活扶助の削減開始(2013年8月)。
    2. 後期高齢者医療保険料の引き上げ(2014 年1月)。
    3. 医療介護総合法成立(2014年6月)。
    4. TPP(環太平洋連携協定)承認関連法の強行(農業破壊)(2016年12月)。
    5. 改悪介護保険法推進(2017年5月)。
    6. 働き方改革一括法の強行(2018年6月)。
    7. 2度の消費税増税で10%引き上げ(2014年4月、2019年10月)。
    8. 生活保護基準の引き上げ(2019年10月)。
  4. 政治スキャンダルまみれ。
    1. 桜を見る会疑惑の問題化(2019年11月)。
    2. 黒川検事長勤務延長の閣議決定(2020年1月)。
    3. 森友学園の問題化(2017年2月)。
    4. 加計学園の問題化(2017年2月)。
  5. 原発再稼働と核禁見送り。
    1. 川内原発1号機再稼働推進。
    2. 核禁条約批准見送りなど。

三 このように、安倍政権は政策面で異様な政権であった。

米国一辺倒、原発 依存などに顕著にみられるのであり、約言すれば憲法破壊的、国民生活破壊的であった。しかし、これに留まらない。その政治手法面でも、政策目的達成のためには 手段を選ばず、破廉恥な手段に訴えることを厭わない政権であった。官僚組織の私兵化、言 論機関・ジャーナリズムの抱き込み・骨抜き、国家的暴力組織(検察・警察・自衛隊)の利用、 民間右翼勢力との結託などである。

四 その異様さは、強度の点で岸内閣(1958年6月~1960年6月)に優るとも劣らない。

だが、これを安倍首相個人の資質のみに帰することは誤りである。なぜなら安倍政権とは、 日本の支配層とアメリカの支配層とが協力して作り上げたものなのである。退陣後も第2、第3 のアベが出現するであろう。このことを私達は見抜かなければならない。 「アベ・エピゴーネン」 (安倍亜流)の出現を許してはならない。ここに私達の課題がある。 そして以上のような「アベ」 的なるものとは正反対の国家像・社会像を構想し、その実現に向けた営みを展開し、それを未 来の世代に引き渡すべき責務を私たちは負っている。安倍改憲を阻止した私たちは、この力量を持つことに自信を持とう。 (2020年9月10日)

安倍政権の末路

みやぎ憲法九条の会世話人・東北大学名誉教授 小田中聰樹

一.
安倍政権は日本を統治する政治的・社会的統治能力を喪失し行き詰まっている。

安倍政権の政策の根源にあるのは対米従属的な日米同盟の軍事的強化であり、これに副う憲法改悪である。彼は狼少年の如くあらゆる機会に改憲を呼号してきた。近時でも2020年5月3日の改憲派集会「美しい日本の憲法をつくる国民の会」に寄せたビデオメッセージで、2020年を新しい憲法が施行される年にしたいと述べた。

しかし改憲策動は暗礁に乗り上げている。20年改憲は勿論のこと、彼の自民党総裁任期中(21年10月21日)の改憲は不可能となっている。その意味で安倍首相の政治生命は末路を迎えているのが現実の姿である。

二.
ここで想起するのは岸政権の末路である。岸政権(1957年2月~1960年7月)は戦後日本の対米従属的関係(とくに軍事)の強化を目論み、日米安保条約の改定とこれに沿う改憲に乗り出した。憲法調査会設置(1957年8月発足)、安保改定交渉開始(1958年10月)、同条約強行可決・自然承認(1960年6月)、警察力強化(警職法改悪、1958年10月提出、但し審議未了)などが彼の事績、悪業の主なリストである。

しかしこのようなファシズム的な反動に対して、国民的な反対運動が展開された。21次に及ぶ統一行動が全国的に行われ、1960年6月15日には600万人が参加するデモや集会が行われたのである。

そして6月23日岸政権は退陣した。国民的批判に屈したのである。この岸政権の末路は私たちに歴史的教訓を残している。

三.
安倍政権は統治能力を失っており政策的に行き詰まっているが、この状況を弥縫するために治安権力への依存度をますます深めていくであろう。権力的正当性を調達し国民の批判を封殺するために必要だからである。このことは洋の東西や時代を問わない政治的権力(者)の狡知なのである。岸がかつて試みたように。

その方策として安倍政権が策動したのが検察官人事の私物化である。黒川東京高検検事長の定年延長の閣議決定(20年1月31日)、検察庁法改定案の国会提出(同年3月13日)がその方策である。その違法性、三権分立原則の侵害性、検察権の私物化、悪辣性への批判は、市民、市民団体、弁護士会、学会、言論界、地方自治体、野党のみならず、元検察官上層部(5月15付意見書)にも拡がり、黒川検事長は賭けマージャン問題が発覚したこともあり、5月21日辞任に追い込まれた。

結び
国民と民主主義の奥深い力量を侮蔑し国民の信頼を失った政権の末路は、歴史の教訓に照らし明らかである。(2020年5月24日)

 

疑問の多い女川原発2号機 -「被災原発」であり、巨大地震・巨大津波がくる場所

鈴木 智子

2020年2月26日原子力規制委員会で、女川原発2号機の審査書が決定され、正式に「合格」が出されました。当日資料は、1200ページ以上にも及びました。市民からのパブコメでは、基準地震動を上回る激しい揺れにあった「被災原発」であり、巨大地震・巨大津波がくる場所に建っているという事実に集中していました。規制委員会の審査は、最長の6年間に及んでいます。規制委員会は、東北電力に水蒸気爆発リスクの問題や耐圧強化ベントの問題など何度もやり直しさせて強引に「合格」を与えたようにも見えます。

日本は、電気が不足しているわけでもなく、再生可能エネルギーが世界の主流になり、福島原発事故の原因究明も終わらないうちに「被災し壊れた女川原発」を再稼働したがるのは何故か?私の謎は深まるばかりです。
日本の原発は、海辺に建設されました。悪意ある他者から爆撃を受けたら…。放射能は海をめぐり、風で流されて行きます。日本はおろか世界が滅びるかもしれません。それでも他国への抑止力にもなると国策を以て得する者がいる限り、原爆を作る装置にもなり得る「原発や再処理工場等」を稼働しようとするのでしょう。

戦争への道を歩まぬように、私たちは権力者のすることをよく見て、よく聴いて、話し合いましょう。権力者が向き合おうとしない時は、憲法を思い出して活用しましょう。
私たちは、私らしく、私のために生きていいのです。私は、微笑みと穏やかな心で平和で愛ある命をまっとうしたいです。

 

「ジェンダー平等と憲法九条」

野呂 アイ

 世界経済フォーラムが毎年行っている各国のジェンダー平等指数を示すグロ-バル・ジェンダー・ギャップ指数(GGGI)は、2019年12月の調査で日本の場合153カ国中121位で、特に政治分野では最下位から10番目の144位との報道であった。「政治への参画」「経済活動への参画」「教育」「健康」の4分野を14項目で評価している。女性活躍を進めるために憲法の条文を変えると発想する改憲派の女性議員の発言があったように、現政権を担う議員たちの質が気になっている。

   私が参加している<日本軍「慰安婦」問題の早期解決をめざす宮城の会>では8年ほど毎年続けてきたパネル展を、昨年11月には<日本人「慰安婦」の沈黙・・国家に管理された性・・>というテーマで行った。「慰安婦」というと朝鮮や中国での出来事と理解されていたようで、新たな気付き、関心をもって注目していただいた。

   長年の公娼制度に代わり、1932年(昭7)の上海事変とともに海軍が慰安所を設置した。戦時体制下では皇軍のためにと身売りの子女が慰安婦にされたが、根本には性差別、性暴力を正当化する貧困、身分や家父長制度などの社会構造があった。驚いたことに、戦後、占領軍兵士のための特殊慰安施設協会(RAA:余暇・娯楽協会)が国によって設立され、「女性従業員」を募集して「性の防波堤」を担ってもらったことである。確かに、当時娘がいる家庭では戦々恐々だったとはいえ、戦災や引揚げで生活苦の中職を求める女性たちが殺到した。性病予防のために半年余りで閉鎖された後、放り出された数万人に及ぶといわれる女性たちは「パンパン」として街娼に流れざるを得なかった。体験が公に語られだしたのは1970年代以降だが、差別を恐れて沈黙を余儀なくされた。性暴力の被害者たちが声を上げ難い社会状況は現在も続いている。

   戦争への道は貧富の格差をつくり、個人の尊厳・人格を無視してきた。弱者が常に犠牲となった。いま逆行しているのかと思ってしまう出来事が目につく。負の歴史を経て生まれた新憲法、九条をはじめ国民の権利実現を、中でもジェンダー平等を学校教育において充実してほしい。国会議員には九十九条の義務遂行を、と願っている。

 

「いまを思う」 権力者の思いとは

三浦 弘康

消費税10%の10月を迎えたら、やっと国会が始まりました。5日付けの朝刊で、改めて安倍首相の所信表明演説の全文を読んでみました。よくぞまあ白々しく己の悪政に都合よくかくも大風呂敷を広げて見せたつもりでしょうが、説得力に欠け権力者の驕りのみが感じられました。

大見出し1.「はじめに」の章で強調する「新しい令和の時代にふさわしい、希望にあふれ、誇りある日本」とはどんな姿なのか、見てみましょう。

同じく2.の「一億総活躍社会」では「多様性を認め合い、すべての人がその個性を認め合い云々で・・・その先には少子高齢化の壁も必ずや克服できる」と自信満々ですが、これは次の「全世代型社会保障」の項で、年金、医療、介護、労働など社会保障全般にわたる「人生100歳時代」を吹き込み、「年金額の抑制と同時に受給資格年齢の大幅引き上げ」で「死ぬまで働け」という残酷で無慈悲な老後人生を国民に押し付けようと画策しているのです。今日の少子高齢化はあくまでも政治の怠慢です。

3.章の「地方創生」では特に農産物輸出の項で「先に締結されたTPP11とEUとの経済連携協定によって乳製品や牛肉の輸出がそれぞれ2割、3割以上増加した」というのです。今農業の現場ではこの2協定による肉類の輸入が倍増し、加えて日米貿易協定がトランプとウイウイの合意に達したことにより、畜産農家のやる気をすっかり萎縮させているというのに。その無神経さと冷酷さには只あきれるばかりです。

4章の「外交・安全保障」の中で自らを「自由貿易の旗手」と持ち上げ、トランプの身勝手を許したことは棚上げして、大阪サミットの成果をたたえ成果の上がらない日中、日ソ、日朝、さらに日韓の問題まで楽観的に描いて見せています。

第5章「おわりに」では、初めに丁度100年前の第一次大戦後のパリ講和会議において日本代表が「人種平等論」を掲げたその先見性を強調していますが、私にはその意図が分かりません。何故なら、その20年後、わが国は日独伊3国の枢軸による第2次世界大戦を引き起こしており、そのことには、首相はまるで無かったかのように語らない。これだけの歴史的事実は永遠に世界史から消せることは出来ない筈なのに。異常です。この体質、危険です。これに続く「この国の目指す形、その理想とは教育、働き方、社会保障、わが国の社会システム全般を改革していく、令和の時代の新しい国創りを・・・その道しるべは憲法です」と明言しました。それは単なる憲法論議ではありません。数を頼んだ「九条壊憲」以外の何ものでもありえません。