野呂 アイ
世界経済フォーラムが毎年行っている各国のジェンダー平等指数を示すグロ-バル・ジェンダー・ギャップ指数(GGGI)は、2019年12月の調査で日本の場合153カ国中121位で、特に政治分野では最下位から10番目の144位との報道であった。「政治への参画」「経済活動への参画」「教育」「健康」の4分野を14項目で評価している。女性活躍を進めるために憲法の条文を変えると発想する改憲派の女性議員の発言があったように、現政権を担う議員たちの質が気になっている。
私が参加している<日本軍「慰安婦」問題の早期解決をめざす宮城の会>では8年ほど毎年続けてきたパネル展を、昨年11月には<日本人「慰安婦」の沈黙・・国家に管理された性・・>というテーマで行った。「慰安婦」というと朝鮮や中国での出来事と理解されていたようで、新たな気付き、関心をもって注目していただいた。
長年の公娼制度に代わり、1932年(昭7)の上海事変とともに海軍が慰安所を設置した。戦時体制下では皇軍のためにと身売りの子女が慰安婦にされたが、根本には性差別、性暴力を正当化する貧困、身分や家父長制度などの社会構造があった。驚いたことに、戦後、占領軍兵士のための特殊慰安施設協会(RAA:余暇・娯楽協会)が国によって設立され、「女性従業員」を募集して「性の防波堤」を担ってもらったことである。確かに、当時娘がいる家庭では戦々恐々だったとはいえ、戦災や引揚げで生活苦の中職を求める女性たちが殺到した。性病予防のために半年余りで閉鎖された後、放り出された数万人に及ぶといわれる女性たちは「パンパン」として街娼に流れざるを得なかった。体験が公に語られだしたのは1970年代以降だが、差別を恐れて沈黙を余儀なくされた。性暴力の被害者たちが声を上げ難い社会状況は現在も続いている。
戦争への道は貧富の格差をつくり、個人の尊厳・人格を無視してきた。弱者が常に犠牲となった。いま逆行しているのかと思ってしまう出来事が目につく。負の歴史を経て生まれた新憲法、九条をはじめ国民の権利実現を、中でもジェンダー平等を学校教育において充実してほしい。国会議員には九十九条の義務遂行を、と願っている。