「4年ぶりに多賀城海軍工廠の 跡地を巡るバスツアー開催」
10月22日、4年ぶりに多賀城海軍工廠の 跡地を巡るバスツアーが開催されました。 この日は、多賀城、松島、奥松島と戦時中の史跡を探訪しました。
参加者は総勢25名。
「図説・多賀城海軍工 廠」を作成した藤原益栄さんが豊富な知見 をもとに詳しくガイドしました。
多賀城では、現在の市の 1/4の面積を占める火工部(弾薬など製造)、機銃部(ゼロ戦搭載の20 ミリ機銃製 造)の跡地を見学し、今は、面影だけを残す場所を巡回し、多賀城は、大規模な軍需工場だったことがわかり ました。
松島では、多賀城の軍事工場が、戦争末期、松島の地下に移され、暗闇に沈む地下壕と化した軍事製造工場の跡を訪れ、当時の状況に驚きました。
奥松島では、「震洋」という小型船に 250Kg 爆弾を積んで敵艦にあたるという無謀な計画実行に対して体当たりする「人」」はいても、船(材料)がないという戦争末期の悲惨な状況に一同消沈しました。
松島の地下壕は、入ったら迷路で、当時の人たちが苦労して、作り上げたものなので戦争遺産として、残せないだろうかと強く感じました。 松島町北小泉で育った参加者(女性)は、「松島にこんなところがあったとは…」と絶句していました。 多賀城から参加した S 氏は、「今回、見るのも、聞くのもはじめて、ほんとにびっくりした。いままで全く知ら なかった。」と感想を述べました。 今回のツアーは久しぶりでしたが、「戦 争がもたらす人々の苦悩」を表に浮かせ、 現代を考えるツアーとなりました。 (鈴木利次)