投稿者「miyagiadmin」のアーカイブ
9/22まで 吉野作造記念館2019年度前期企画展
9/29 宮城県保険医協会第6回公開市民講座
宮城県保険医協会第6回公開市民講座
あの日から八年、話したいこと、ともに分かち合いたいこと。
八年という歳月のなかで、あらためて話したい、分かち合いたいことがあります。東日本大震災からの日々を真ん中に置きながら、福島の今や、人生や言葉の大切さ、これからの暮らしのありかたについて、お話します。これまでに書きあげてきた詩の朗読もします。
日時:9月29日(日)10:00~12:00
会場:仙台弁護士会会館4F会議室
講師:和合亮一さん(詩人・高校教師 福島県在住)
参加費:無料(要事前申込)
主催:宮城県保険医協会女性部
申込:宮城県保険医協会事務局まで電話かファックス
TEL:022-265-1667 FAX:022-265-0576
9/22 第63回国鉄のうたごえ祭典inみやぎ~合唱発表会~
9/8宮城県母親大会in石巻
8/31「肥田舜太郎医師と内部被曝」上映会
9/1若林区憲法を語るつどい
9/14 九条の会連絡会 講演&総会
(特別寄稿)松田甚次郎「土に叫ぶ」を読む
相原 研一
〜山形県新庄市の市立図書館へ〜
松田甚次郎。1943年8月4日没。享年34歳。
77回目の命日にあたる前日3日、松田甚次郎について調べてみようと、甚次郎の生まれた山形県新庄市の市立図書館を訪ねた。
新庄駅に降り立つのは30年ぶりだろうか。今月の24日から始まる「新庄まつり」を前にさぞや賑わっているのだろうと思いきや、全くの逆である。駅前は綺麗に整備されてはいるものの人はまばら。駅のバスターミナルにバスはなく、これが人口4万人の町かとおもった。
強い日差しの中、雨傘を日傘変わりにして、図書館まで10分ほど歩く。
図書館の受付で「松田甚次郎についての資料を見たいのですが」というと、たまたま隣にいた媼(失礼、こちらも老人だが、私より年上と見えた)が、「甚次郎、明日命日だな」という。「そうですね」と応じると、「あそごだ」と指をさして教えてくれた。
●宮沢賢治を師と仰いでさまざまな取り組みをした
私が、松田甚次郎を知ったのは2013年8月11日の日本農業新聞のコラム「四季」。それ以来、気になっていた。「山形県稲舟村(現新庄市)に1909年、素封家の長男として生まれ、盛岡高等農林(現岩手大学)に学ぶ。卒業直前に訪ねた宮沢賢治に『小作人たれ、農村劇をやれ』と諭され、故郷に帰りその教えを忠実に実行した。・・・もともと神道を崇拝、朝のみそぎも欠かさなかっただけに軍国主義の政策にのみ込まれていく」とコラムにはある。
図書館で、甚次郎の著書『土に叫ぶ』を手にする。『土に叫ぶ』は1938年に羽田書店から発行、発売は岩波書店。定価1円80銭。羽田書店の社長は、1937年の総選挙に立憲政友会公認で出馬、当選した羽田武嗣郎だった。武嗣郎は元首相の羽田孜の父、現参議院議員の羽田雄一郎の祖父である。東北帝大で阿部次郎に師事、卒業後東京朝日新聞社に入社し、記者となった。
私が手にした本は、1978年に泰流社から復刻出版されたものである。
甚次郎に話を戻す。甚次郎は1909年3月3日、市内鳥越の自作兼地主の裕福な農家に長男として生まれた。村山農学校を経て、1926年に宮沢賢治が学んだ盛岡高等農林学校農業別科に進学する。丁度そのころ、賢治は花巻農学校を依願退職。「羅須地人協会」なる私塾を立ち上げた。
1927年3月、賢治を訪ねた甚次郎は「小作人たれ」、「農民劇をやれ」という教えを実践すべく新庄にもどり、親の許しを得て、実家の「小作人」となる。また、村の青年を集めて「鳥越倶楽部」を結成し、演劇活動を始める一方で「最上共働村塾」を設立し、政治の問題・農業経営・青年教育などを論じ合った。
それらの活動を知った羽田武嗣郎は甚次郎に執筆を依頼する。本を書くような柄ではないと断ったが、羽田の熱心な薦めで執筆にとりかかったと、『土に叫ぶ』の前書きにある。
甚次郎は賢治を師と仰ぐものの、その立ち位置は土着的な農民の立場であり、賢治の「羅須地人協会」のようなユートピア的な運動と比べてはるかに現実的であった。それは農村改革・農村振興であり、一部の人々には、左翼的危険思想の持ち主と疑われもした。
●赤貧からの解放は土地問題として解決策を示すが・・
『土に叫ぶ』にはつぎのような一節がある「働けど、働けど、追っかけてくる農民の赤貧の理由はどこにあるか。それは土地問題である」と。当時、都市の金持ちや高利貸し、成金などは農民から土地を買い、その農民を小作人として使役、高い小作料をとっていた。その農民は赤貧にあえいだ。この赤貧からの解放は「土地問題」にあると甚次郎は、その解決策を示すのである。
甚次郎は続けて書く。
「どうしても土地を売らなければならないときは、自然村落の共同土地管理団体に相当の値段で売却し、部落の小作人となることである。村落共同土地管理団体は部落全員で組織し、秋に米を一斗とか二斗とかを一口として、生活に応じて出資し、その金で土地を売るものから土地を購入してやるのである。小作人となった土地売却者には公正なる小作料を定め、小作権を自治的に認定して与えることが必要である。土地などの改良も管理団体がやるべきである」と論ずる。
これは、江戸末期の大原幽学の「先祖株組合」の考え方であると指摘するのは、岩手県花巻在住の菊池忠二氏である(菊池著作『私の賢治散歩』/2006年3月刊)。菊池氏は1926年生まれ、1942年9月に盛岡農学校で甚次郎の講演を聞いている。講師として野良着姿で来校した甚次郎は、農業はもとより数学なども学ぶ大切さ語ったと『私の賢治散歩』に書いている。
他にも大阪大学・川村邦光教授の「松田甚次郎試論」という論文もあった。著作はなかったが、図書館にはコピーされたものがあったが、如何せんコピーが古く、うすくなっていたのは残念だった。
8月3日の新庄市立図書館で読んだ資料をもとにこれを書いたが、甚次郎の『土に叫ぶ』はもっともっと読み継がれてよい本ではないかと思った。
※本文の写真は新庄デジタルアーカイブから利用させていただきました。
なお、松田甚次郎については、新庄市ホームページの次のページにどのような人物だったのか、まとめられている。
著書『土に叫ぶ』も新庄市ホームページで一部であるが抜粋を閲覧することができる。
忖度政治は、民主主義の危機
犬飼 健郎
森・加計や金融庁の老後の生活に2000万円必要とする報告書の大臣受取拒否そして総理側近の衆議院議長候補発言など考えられない問題が起きている。それらの原因が政治家の劣化にあり、さらに、それが小選挙区制に起因していることは多くの学者、評論家が指摘しているところである。以前、ペルシャ湾機雷掃海に自衛隊の派遣をアメリカから求められたとき、当時の官房長官後藤田正晴は、海外での武力行使につながる可能性のある対応はとるべきではなく、閣議で海上自衛隊派遣には署名しないと当時の中曽根首相に反対し、中曽根も派遣を断念した。かつては自民党の中にもそのような気骨の政治家がいたが、今は見る影もなく、みんなが権力者に同調している。
問題になっている忖度も、権力者の意向を先取りしてそれに添おうとするもので、国民の福祉や平和に目が向けられていない。長く内閣官房副長官を務めた石原信雄氏が、日経新聞の今年6月の「私の履歴書」で、官邸が各省幹部の人事権を握り、官邸の政治主導が強まっているが、それと行政の公平性・中立性は別の話で、法治国家は法の下の平等が原則である。支持政党や思想にかかわらず、同じ要件の人が行政から受ける恩恵に差があってはならず、行政も勇気を持って欲しいと書いていた。当たり前のことだが、権力者のお友達に行政も不当な利益を与えた森・加計問題などの現状を憂いて書いたものである。
行政の忖度は、最近では金融庁の老後の生活には年金のほかに2,000万円位が必要とする報告を大臣が受け取りを拒否したことにもその危険が伺われる。このようなことが続けば、内閣の顔色をみて行政行為や意見書の作成しかできなくなり、行政の公平性・中立性が失われてしまう。それによって被害を受けるのは国民大衆である。
さらに直近では、憲法改正を進めるため国会議長の人選についてまで首相側近が口を出すようになった。国権の最高機関をも政治権力者の思い通りに動かそうとしている。国会や行政がこのまま権力者を忖度し、唯々諾々と憲法9条の改悪案が国民投票にかけられるようでは、平和や民主主義が破壊されてしまうのではないかと強い不安に陥っている。