「やむを得ない」? — 有事の市民の命

「やむを得ない」? — 有事の市民の命

小幡佳緒里(弁護士・みやぎ憲法九条の会 世話人)

岸田首相が衆院補欠選挙応援のために訪れた演説会場に筒状の爆発物が投げ込まれる事件が起こった。演説会場で要人が狙われるなどという事件があってはならないことは言うまでもない。

これに関連し、投げ込まれた筒状の物体を多くの聴衆がいる方向へ蹴って首相から遠ざけるなどしたSPの行動に、首相が無事であれば市民が犠牲になっても良いのか、 などの批判の声が寄せられた。

確かに、要人警護の観点からは、爆発物と思われる物体を要人から遠ざけたSPの行動は、その先に多くの市民がいたとしても、やむを得ないものとされ、上記批判はあたらないこととなろう。

しかし、私は、この「やむを得ない」とされることこそが、有事の際の政府と市民との関係を如実に表しているものだと改めて感じた。

憲法は、すべて国民は法の下に平等である、としている。人は平等であり、社会的身分等により差別されることはない。しかし、それは有事の際には当てはまらない。国家を守るということは、国の統治機構、その中枢にある政府を守ることに他ならない。国民(市民)ではなく、政府を守ることが最優先となる。そのため、ミサイルが政府(その構成員)に着弾するのを阻止するためであれば、多数の市民が集う場所へ着弾先を向けることは正当な被害回避行動となろう。有事の際には、市民の命は、国の統治機構に劣後する。

日本は、戦争をしない国になって80年になろうとしている。まさに、戦争がないことが当たり前の日常である。そこでは、人は、命は、平等であるのが前提となっている。

戦争のない日常に生きている私たちは、有事の際、自分の命が国の統治機構に劣後することを理解しているだろうか。

人の命は平等で、社会的地位等によって選別されて良いわけがない。

だからこそ、私は、戦争が起こることがあってはならないと心から思う。